Tue
11/06
2007
第80回くらしきコンサート ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会

先だっての地元出身の音楽家さんたちが集まるコンサートから3日。
また倉敷市民会館へコンサートを聴きに出かけました(笑)
今夜聴きに行ったのは、かの巨匠チェリビダッケが音楽総監督を務め、マーラーの交響曲を初演したこともある、というドイツの名門オーケストラ、ミュンヘン・フィルです。
ドイツのオケがオール・ドイツ・プログラムで来日する、ということで、安いけれどあまりお安くない(苦笑)席ではありましたが、聴くことができました♪
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第80回くらしきコンサート
クリスティアン・ティーレマン指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 演奏会
R.シュトラウス作曲:交響詩「ドン・ファン」 op.20
R.シュトラウス作曲:交響詩「死と変容」op.24
ブラームス作曲:交響曲第1番 ハ短調 op.68
指揮:クリスティアン・ティーレマン
管弦楽:ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
倉敷市民会館 19:00〜
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今年聴く外来オケは、春のIPOに続き2つめ。
外来オケというと、どーも“弦楽器ズラーッ! 管楽器バーン! 打楽器ドーン!”的大編成なイメージがあるのですが、今夜のミュンヘン・フィルも例外ではありませんでした。
前半に演奏されるのがR.シュトラウスの交響詩ということで、まさに“弦楽器ズラーッ! 管楽器バーン! 打楽器ドーン!”(笑)
しかも、弦楽器が対向配置になっておりました。
最初はブラームスのために対抗配置にしているのかな?と思っていたのですが、聴いてみると、R.シュトラウスを演奏するにも対抗配置の方が都合がいい、ということがわかって納得しました。
私が座った席は、2階席。一番隅っこではありますが、舞台下手側に大きくせり出しているためにステージにはとても近い席で、対向配置になっているために目の前にはコントラバスがズラーッ。おかげさまで、重低音がよく響いてきました。また、舞台下手側に陣取っている打楽器パートがよく見えまして、気持ちだけは未だ現役な元パーカッショニストにとってはたまらない場所でした。
先ほども書きましたが、前半はR.シュトラウスさんの交響詩2連発です。
いきなり「ドン・ファン」です。N響アワーのオープニングですっかりおなじみになっている、アレです。しょっぱなからテンション↑↑↑です。
プログラムの解説によれば、「ドン・ファンというと見境なく女に手を出す男の代名詞」なのだそうで。出だしがファンファーレのように華やかだったり、官能的なメロディが流れてきたりするのはそのためなのかしら?と思ってしまいます。
この曲、ミュンヘン・フィルの管&打楽器セクションに釘付けでございました。
オーボエの首席奏者さんの音がとぉっても綺麗で、思わずうっとり(*^_^*)
打楽器も、特にグロッケンさんにメチャメチャ注目してしまいました。叩いた後、鍵盤の上で細かく手を揺らしてビブラートをかける、なんて初めて拝見いたしました。くぅぅ、現役で吹奏楽でもやっていれば、即練習して真似するんですが。。。
ホルンパートも大活躍でした。(R.シュトラウスといえば“ホルンいじめ”と連想してしまうのは、某マンガの影響が大きすぎるのか…;)
栄枯盛衰といいましょうか。音楽を聴いて一人の男の人生を音で辿ることができる、まさに交響詩なんだなぁ、と今更のように感じました。
続きまして、一度聴いてみたいと思いつつもなかなか機会がなく、たぶん初めて耳にするであろう交響詩「死と変容」
人生最後の夜を迎え、死んで魂が浄化される様子を、音楽を聴いているだけでありありと思い浮かべることのできる曲で、聴いていて圧倒されました。
第2ヴァイオリンとヴィオラが静かに奏でる、人生最後の夜の始まりを思わせる重々しい響き。長い間病の床に臥している人が「ああ、いよいよ今夜自分の命が尽きるんだ」と自覚している様子が伝わってきます。
最後に自分の人生を思い返して、とりとめもなく思い出を引っ張り出していきながら、それも今夜で終わるんだ、と諦めにも似た気持になると同時に、死んだらどうなるんだろう?という不安も垣間見えるようでありました。
自分の人生を振り返っているうちに、湧き上がってくる生への執着。その場面転換の前、ずーっと弱音でトレモロを続けながら、コントラバスの低音部隊が一人ずつ交代で、交互に弱音器を外していく様子が見えまして。「ああ、ここで曲調が変わるな」と思わず身構えてしまいました(笑)
やっぱりもっと生きたかった。
まだやり残していることがある。
ここで死にたくない。
音楽を通じて、そんな叫びが聞こえてきます。目の前にいるのはオーケストラなのに、薄暗くて寂しい病室にベッドが一つだけポツンと置かれていて、看取る人も誰もいない、たった一人で死と葛藤する男性のお芝居を見ているような気持になります。
まだ死にたくない。
生きていたい。
そんな願いもむなしく、容赦なく襲いかかってくる死。体が機能することを止め、心臓も止まって、魂が体から抜け出てしまう。
そこへ降り注いでくる、天からの光。差し伸べられる救いの手。まばゆい光に包まれながら、魂が浄化されて天国へ迎え入れられていくような。
そんな様子が目に見えるようでした。
人生の最後に聴く音楽が、こんな美しい音楽だったら。
こんな音楽を聴きながら、眠るように死ぬことができるなら、幸せだろうなぁ。
そんなことを思いながら、聴いていました。
魂が浄化されていく様子が描かれる時の、ミュンヘン・フィルさんの音には本当に圧倒されました。
もうすでにMAXで音が鳴っているように思えるのに、さらに、さらにと音量が増していくあの迫力といったら、もう!
以前、オーケストラは地球が鳴っている音だ、なんて話を聞いたことがありますけれど。本当に大地が揺れるような、地球上のありとあらゆる物質が共鳴しているような。その真ん中に放り出されて自分も一緒に共鳴しているような、そんな感覚でした。
音は空気の振動。振動を感じる受容器は全身の皮膚に散らばっているために、私たちは音をただ耳で聴くだけでなく、全身で感じることができるんですよね。
大音響の中にいると、無条件に「キモチイイ」と思える。それも、スピーカーなどで電子的に増幅された音ではなく、約100人の人間が自分の手で、あるいは息で作り出した音が折り重なっているからこそ、「キモチイイ」
ああ、オーケストラって素晴らしい。
なんだか凄すぎて、話も思考回路も飛躍してしまいそうな、突き抜けてしまうような感覚でした。
前半の2曲で、すでにもう「凄すぎて笑っちゃう」状態だったんですが(笑)
休憩をはさんだ後半は、ブラームスの交響曲第1番です。
……生で聴くのは今年これで3度目です(爆)
ミュンヘン・フィルが聴かせてくれるブラームスは、どんなブラームスかしら?
と期待をはせつつ、入口で配られた「本日の曲目」と演奏予定時間を見ましたら、演奏予定時間56分。
56分!?
それって、メッチャ長くないか!?
どんなテンポでやるねん!?
と思いつつ、打楽器やハープや管楽器が減って、余裕が出たステージを見ながら後半に臨みました。
そして始まった、今年3度目のブラームス作曲交響曲第1番は。
遅っ! 厚っ! 重っ!
久方ぶりに、往年の巨匠たちが作り上げてきたブラームス像を見たような気がしました。
冒頭のティンパニは、存在感を主張しつつも出すぎない、という絶妙のバランス。
弦楽器は約60人態勢なので、とにかく音が分厚くて、重量感があります。
さらに、遅めのテンポで曲が進み、繰り返し記号はすべて忠実に守る演奏でしたので、何度も同じ場所を行ったり来たりするようで、でもちょっとは前に進んでいるのかしら?なんて具合で、ブラームスさんが作り上げた迷路の中に迷い込んだような気持ちで第1楽章を聴きました。
第2楽章はとにかく美しくて、第3楽章はどこか切なくて。
と、間の2つの楽章がこれだけで終わってしまう=第4楽章が強烈すぎた、ということなんですが(笑)
強烈すぎました、第4楽章。
いろいろな意味で面白すぎて、泣きながらも笑いが止まらない、という状態でした。
第4楽章の最初、暗雲が立ち込めた、混沌とした様子を思い浮かべるあの冒頭部分。
一寸先は闇、というギリギリの緊張感と静寂の中で、ゆっくりと小さく鳴りだす弦楽器のピチカート。
その静寂を破るのは……指揮者、ティーレマンさんの気合いの足音(笑)
でもね、お気持ちはとてもよくわかりました。ゆっくりと始まって、加速していくあの弦楽器のピチカートの部分。最初と最後のスピードの落差がかなり激しかったのですよ。
全体的に遅いテンポですし、ためるところは「いつまでためるねん!?」と思うくらい、めいっぱいためていってましたから。
でも、だからこそなんでしょう。
曲が長調へと転じて、ホルンが遠くから響いてくるようなあの部分。
夜明けが近くなって、東の空が明るくなってきて、山の稜線が少しずつはっきりしてきて。
小鳥が鳴いて夜明けを告げて、荘厳な空気を漂わせながら夜が明けていく様子が、ステージに重なって目に浮かびました。
小鳥の鳴き声を模したようなフルートのソロ、首席奏者さんの「一音入魂!」な熱演&アクションを見ることができました(^^)
テンポの落差や揺れが激しくて、ためも多くて。
クライマックスの、ラストに向けて突っ走るところも、ラスト直前にためるだけエネルギーをためこんで、一気に爆発させるような感じでした。
開放感抜群でした(^^)
とてもスケールが大きくて、ブラームスなんだけどマーラーを聴いているような(と感じたのは、つい先日マーラーの「復活」を聴いたからかもしれないんですが;)錯覚に陥りました。
「そこでためるの!?」
「そこでテンポ落とすの?」
「うわ、そう来たか!」
第4楽章はその連続でありました。
ティーレマンさんはずっと唸ってはるし、足音もドンドン聞こえてくるし(全て暗譜で振っておられたので譜面台がなかったこともあり、前に落ちるんじゃないかと心配しちゃいました;)
オーケストラも大熱演ですし。
爆演なミュンヘン・フィルでありました(^^)
素晴らしい音楽に触れる機会を与えていただきましたこと、心から感謝です。



